第一章 日光仮面

一本の長い線が、左右に真っ直ぐ引かれている。

線は、暗い山の間を通り抜け、凍てついた森をかき分け、激しい流れの川を越え、風が吹きつける何も無い空間を横切り、僕を通り越して進んでいく。とてつもなく長いその線は、遥か昔から存在する。

その線の右端は光と闇に包まれている。輪郭がはっきり見えない。大勢の人間がそこに集まっていることは分かっているが、具体的に誰が何をしているのかは全く分からない。どれほど眼を凝らしても、一人ひとりはまるで見分けがつかない。激しい光が明滅し、轟音と静寂が交互にやってくるが、その形を遠くから掴むことはできない。反対側の左端も、様子は右端とほとんど変わらない。そこに何があるのかはよく見えない。最後に海に辿り着くことは分かっているが、海岸に至る途中にあるはずの巨大な街の形は、太陽の光をビルがさえぎっていて、影しか見えない。

その、両端がぼんやりした直線のちょうど真ん中に、僕の街はあった。平べったく、色数が少なく、車が退屈そうに道を走っていて、大体いつも雨が降っている。僕は自分の部屋の窓からその風景を眺めていた。夏は、周囲を取り囲む山の壁のおかげで天然の鍋の底と化し、永久に弱火で煮込まれ続けるような暑さで、冬は、周囲の山々から吹き下ろす寒風をまともに浴びて、耳と手が破けるほど寒い。春と秋は一瞬のうちに通り過ぎて行き、後はいつも雨が降っている。

市の人口は約六万五千人で、この数字は僕が生まれてから三十年近くほとんど変わっていない。日本が経済的栄華を極めた時も、それが潰えた時も、僕がいてもいなくても、この数字は変化しなかった。その数は日本においては多くも少なくもなくちょうど中くらいのものだ。僕は実際に子供のころにそれを確かめた。当時日本全国に存在した七百弱の市区が人口順に並べられた表を図書館で探しだしたところ、この街はそのランク中でほぼ中位に位置していたのだ。今でもその位置はほとんど変わらない。すっかり流れの澱んだ池のように、水の総量はいつまでも変わらず、埃と泥ばかりが積もっていく。

僕は小学生の時、この街を「真中(まんなか)市」と名付けた。「まんなかし」、その意味も、その気の抜けた響きも、この街の名にぴったりだと思った。もちろん公式の名称が、僕が名づけるまでもなくずっと以前から別にある。しかしそれは僕に馴染まなかった。もっとはっきりと、この街がどこよりも中くらいで、どこよりも特徴がなく、どこよりも冴えない、どこよりも真ん中の町だということを示す必要があると思った。その頃僕は自分にも他人にも街にも正直さを求めていた。正直であることが、人と一緒に生きていく上での基本的ルールだと思っていた。嘘をつくものとは友達にはなれないし、僕が嘘をついていたら誰も僕と友達にはならないだろうと考えたからだ。

真中市には、日本全国の平均的な街にある大体の物が同じように存在する。特別なものは何もない。ガソリンスタンド、コンビニエンスストア、マクドナルド、喫茶店、本屋、スーパーマーケット、小学校、中学校、工業高校、女子高校、普通高校、野球場、川とその堤防、神社、漫画喫茶、自転車屋、車のディーラー、バッティングセンター、カラオケボックス、ゲームセンター、ラブホテル、ファミリーレストラン、そして何よりも、広大な水田。地球の地殻の7割が水で覆われているように、真中市の面積の7割も水田で構成されている。

住民の性年代構成は満遍がなく、子供も若者も中年も老人も、男も女も、大体同じくらいの数が暮らしている。老人が多すぎることも、子供が多すぎることもない。流石に最近になると老人の数が増えてきたが、子供たちの声はまだ減っていない。金持ちも貧乏人もいる。僕の家の近くには古くからの地主がいて、城塞のごとき巨大な家に住んでいた。狩猟が趣味で、週末になるといつも狩りに出かける老人が主人の家だった。

そして真中市にもごく一般的な、「あの人たち」がいた。あの人たちはいつも僕の傍にいて、僕の日常の一部だった。学校の授業が終わり、仲間とともに街を歩けばいつでもすぐに彼らに出会った。僕たちは彼らと話し、多くの時間を共に過ごした。しかしそうでありながら、僕たちと彼らの関係は微妙な距離を保ち続けていた。知り合いと言うには遠すぎ、他人と言うには近すぎる、既知と未知の間の存在だった。

あの人たちのことは、日本に住む者なら誰もが良く知っているはずだが、どういう人たちなのかを改めて語ろうとすると、何故か表現が難しい。奇妙な人たち、と言い切ってしまうのは正確ではない。彼らの奇妙さはある程度共通しているが、ただ単に異常というわけではない。僕にとっては彼らは奇妙な人たちではなく、ただ正直な人たちだった。少し正直でありすぎたかもしれないとは思うが、僕は子供の頃から、彼らに対して敵意や侮蔑といった嘲りの感情を抱いたことは一度もなかった。真昼間からぼんやりと道端を歩いている、多くの場合奇抜な衣装を着こんだ、何をするわけでもなくただそこにいる、毒にも薬にもならない、しかしおそらく正気を失ったあの人たちが、真中市には何人も暮らしていた。セーラー服を身にまとった中年親父や、ドラえもんに出てくる「のび太」のコスチュームを着た青年や、街角で延々祈祷を続ける老婆や、空き缶を体中のありとあらゆる場所に大量にくくりつけた老人や、何の変哲もないヒーローがいた。

そのヒーローの名を、日光仮面と言った。

 

 

どの町にも必ずしも多くのあの人たちがいるわけではないと僕が知ったのは、この街を出て別の街に住むようになった後のことだった。僕は新しい街に移り住むたびに、その街土着のあの人たちに出会ったが、それはせいぜい数人で、あの左右に伸びた長い直線の右端に近づくごとにその人数は減って行き、最後には普段の生活の限りほとんど見かけなくなってしまった。近所のコンビニエンスストアの前で毎日何時間もシャドーボクシングをしている老人が一人いるが、彼をあの人たちに分類してよいのか僕には分からない。

しかしそれが僕には奇妙なことに思えたのだった。僕が生まれ育った真中市は、日本のどこよりも平均的で特別な物が何もない真ん中な街であったのだから、この街にあって他の街に無いものがあるというのは、僕にとっては全く理屈に合わないことだった。僕は想像していたのだ、この街よりも10倍も100倍も人口の多い街に出ていけば、それに比例してもっと多くのあの人たちに出会うことになるだろうと。だが実際には僕はどこに行っても、ほとんどあの人たちを見つけることは出来なかった。たまに出逢っても、彼らは、その過剰な正直の発露たる外見と精神の奇抜さにおいて、真中市のあの人たちよりもはっきりとスケールダウンしていた。

この事実に気がついた時にはずいぶんがっかりした。僕が真中市から遠く離れた場所で一人暮らしをしたいと思ったのは、新しい誰かに出会いたかったからだ。新しい友達、新しい恋人、そして新しいあの人たちに。僕は真中市のあの人たちのことを懐かしく思い出すようになり、今では考えることは、街を去る前とは全く逆転してしまっている。ひょっとしたら、真中市はあの人たちの人口密度が日本でも最も高い街だったのではないか、と。彼らは極端な場所には住むことができないのではないだろうか。あまりにも富みすぎていたり貧しすぎたり、騒がしすぎたり静かすぎたり、暑すぎたり寒すぎたりする場所には。何の捉えどころもなく、突き当りもなく、でこぼこもなく、どこへ行っても「普通」しかない真中市にしか、彼らは住むことができなかったのではないだろうか。

僕はそんな風にも思った。だがそんな通り一遍の仮説だけでは僕自身納得がいかなかった。ただの「普通」なら、この国にはあまねく蔓延しているはずだ。川が淀んで蛍が消えてしまうのとは、森が切り倒されて妖精が消えてしまうのとは意味が違う。彼らがいなくなる理由が分からない。

きっと、彼らを見つけることができない理由は、僕自身にもあるのだった。

僕が最もあの人たちに近づき、同じ時間を過ごしたのは十代の最初のころまでのことだった。その頃は僕も友達も、エネルギーに満ちあふれ、恐れとか敵意とかいうものを知らず、二十四時間、精神が開放されっぱなしだった。手にとって触れられる距離にあるものは全て自分たちに関係するものであり、せき止めるものなどなく何もかもを受け入れ吸収し続けていた。

今は違う。自分自身を省みた時、目に見えてかつての想像力は減退し、彼らの正直さから遠ざかっている。道を歩いていて、いきなり歌いだしたり走りだしたり叫んだりすることは無い。予定された動きと論理的な言葉が生活のほとんどを覆っている。それが大人になるということだと思って成長してきたのだから、誰に向かっても文句を言う筋合いはない。

しかしそのまともさはあの人たちの正直さとは相容れない。僕は彼らのいた場所から遠ざかり、もし彼らがすぐ傍にいたとしても見つけ出すことが容易にはできないのだ。

僕はそう思う。僕には見つけられなくても、彼らはまだどこかにいると。

彼らはしばしば、歌を歌っていた。歌う歌は、それぞれのあの人たちによって異なっていた。プロレスラーの入場曲が一人一人違うように、彼ら一人一人にオリジナルのテーマ曲があった。大体は拍子も旋律も出鱈目な歌で、何を歌っているのか分からなかった。彼の口の中で風が渦を巻いて、呻き声と叫び声の中間のような喚き声が漏れてくる合間に、時々歌詞が聞こえるが、意味を掴むことができなかった。

だが時々は、はっきりと歌う者もいた。

 

 

どこの誰かは知らないけれど

誰もがみんな知っている

日光仮面のおじさんは

正義の味方よ よいひとよ

疾風のようにあらわれて

疾風のように去っていく

日光仮面は誰でしょう

日光仮面は誰でしょう

 

 

僕らはその歌を覚え、日光仮面とともに何度も歌った。これが完全に剽窃だと知ったのは、自宅で風呂に入りながら歌っているときに、父から指摘されたからだ。お前そんな古い歌どうして知ってる?

それから父は、その歌が本当は「月光仮面」という古いテレビドラマの主題歌で、ただ月光を日光に歌い替えただけの物であることを教えた。僕はふーんと言って、奇妙なテレビドラマもあったものだと思った。もしも日光仮面が月光仮面を真似しただけのものだとしたら、逆に月光仮面というドラマは日光仮面にそっくりだということになる。

もしも日光仮面のようなヒーローが主人公のテレビドラマがあったとして、僕はそんなものをわざわざ見ようとは思わないだろう。サングラスをかけてマスクをつけ、ママチャリに跨って良く分からない歌を歌いながら真昼間から街を走り回っている正体不明の中年男の物語に、誰かを感動させる要素が含まれているとは思えなかったからだ。

 

 

 

彼の歌が示すように、日光仮面は古いテレビドラマの主人公、月光仮面を模した存在だった。少なくとも彼自身はそうあろうとしていた。漆黒のサングラスをかけ、白いタオルを頭に巻き、大きなガーゼマスクで顔を覆い、缶詰の空き缶の側面に穴をあけてベルトのバックル代わりにし、白いカーテンを裁縫してマント代わりに背に纏い、軍手をはめ、日夜、真中市のどこかをタイヤのすり減った自転車で走り回っている。本物の月光仮面は二丁の拳銃を所持しているが、日光仮面にはヤクザとも中国マフィアともコネクションが無かったため、残念ながら撃鉄にヒビが入ったエアガン一つを持っているだけだった。代わりに彼は金属バットを一本所持していたので、一時期はそれを武器として背負っていた。だが、ある日当然の帰結として警官に呼び止められ指導を受けると、自宅に保管しておくより仕方が無くなり、丸腰となった。それに従い、彼は正義を貫く武器として己の拳を鍛える道を選ぶことになり、自宅の前で川の流れを見つめながら、朝から晩まで延々と正拳突きを繰り返した。そして、往年の香港映画スターを思わせる気合の発声とともに拳を突き出し続ける彼の下には、やがて近隣の住民から騒音に対する非難が寄せられ、止むを得ず無言で正拳突きを繰り返すようになった。

日光仮面、という彼の名は、彼の住んでいた場所に由来するものだった。それとも、日光仮面という名前を自ら称したのが先で、その場所に住むことになったのはその後だったかもしれない。どちらにしても僕らが出会ったころには、彼がその場所に住むようになってから既に長い時間が経っていた。そこは真中市の中央を北から南に真っ直ぐ流れ落ちる、日光川という名の川のほとりだった。その川は、清廉な印象を抱かせる名称に反し、川というには余りに汚れすぎ、澱みすぎていた。大体30メートルから40メートルくらいの川幅と緩い流れが延々続き、食用の魚は一匹も泳いでいない。時々鴨が飛来してくるが、彼らが餌を探しに水中に潜ると、水面に上がってきたときには全身が真っ黒になってしまう。戦後から高度経済成長期を経てバブルの絶頂期に至るまで、周辺の家庭や企業が排出するあらゆる種類の大量のゴミと汚物がまっしぐらにこの川に流れ込み、浄化しきれないまま積み重なって川の色を変え、臭いを変え、結果として誰もが目をそむけ足早に通り過ぎていく濁流となった。そんな川の河川敷、真中市の中でもさらに真中の場所に、日光仮面は住んでいたのだ。その住処の頭上には橋が掛かり、私鉄が西へ東へがたごとと走り続けている。橋を支えるコンクリートの柱と堤防はカラースプレーで描かれた落書きに一面覆われている。ドナルドダックやドラえもんやピッコロ大魔王が色とりどりに描かれた曼荼羅のような壁画の中に、真っ黒い文字でこう書かれている。

「日光仮面参上」

その文字を日光仮面自身が書いたのか、誰かがいたずらで書いたのかは分からない。とにかくその文字が書かれた隣りに、近所の廃材置き場から拾い集めてきたと思しき木材や、段ボールや、ブロック材を重ね合わせてできた、彼の住処があった。それは、僕らがかつて誠二の家のほど近くの空き地に建てた秘密基地の姿に良く似ていた。

僕はその家の中に足を踏み入れたことは無い。僕だけではなく、誠二も、夏も、健一も、誰ひとりとしてそこに入った者は無かった。僕たちはただ、盛大に斜めに歪み、木材の隙間だらけのその家の扉を、外から時々軽くノックするだけだった。そうすればいつも彼は家の中から出てくる。あるいは彼が真中市の平和を守るパトロールに出かけて不在にしていれば、僕らは諦めてそこを立ち去る。

僕らがその扉をノックするのは、この街に突如現れた悪から僕らを救ってもらおうと助けを求めに来たため、ではなかった。僕たちはただ単に、野球かサッカーの試合を満足に運営するための頭数を求めていただけだった。それは日光仮面にとっては僕らに対する不満の種だったようだが、こちらとしても他に選択の余地がなくそうしていたのに過ぎない。彼の他に候補がいるのであれば、とっくにそうしている。

僕が日光仮面の家のドアをノックすると、ドアの向こうの暗闇からこう聞こえる。

「誰だ」

「裕司(ゆうじ)だよ」と僕は応える。

「繁か」

「しげるじゃないよ。中原裕司」と僕はフルネームで名乗る。

「何の用だ」

「困ってるんだ。日光仮面にすぐに助けてほしい」

「サタンの爪か。奴が現れたのか」

「いや、ゴールキーパーがいないからやって欲しくて」

「繁、私の名前を言ってみろ」

「日光仮面」と僕は言った。

「そうだ。つまり正義の味方だ。正義の味方は悪を退治するのが仕事だ。この世で最も重要な仕事だ。ゴールキーパーが仕事なのではない」

「ゴールキーパーは仕事じゃないよ。いいから早くしてよ」

うううううむ、という唸り声が小屋の中から聞こえてくる。そしてしばらくしてドアが開き、日光仮面が現れる。彼は歌っている。必ず歌いながら現れるのが彼のルールなのだ。

 

 

日の光を背に受けて

仮面に隠したこの心

風が吹くなら吹くがよい

雨が降るなら降るがよい

愛と正義のためならば

なんで惜しかろうこの命

 

 

たかが近所の小僧のサッカーの試合に出てやるくらいで何故命懸けなのかは全く理解できなかったが、日光仮面がいつも真剣なのだということだけは僕たちにも分かっていた。結局、僕たちが日光仮面を心底では馬鹿にすることなく付き合い続けたのも、その彼の真剣さに原因がある。中途半端ならただの道化だが、本当の真剣さというものは、徹底すると神聖さを帯び、相手を自分の世界に引きずり込むのだ。

そして日光仮面は僕らに連れられて、河川敷近くの公園まで歩き、ゴールマウスの前に立たされる。相手チームとなる地元連中五人が既に待っており、日光仮面は僕たちのチームのキーパーとなる。五対五のミニゲームだ。また日光仮面かよ、と相手連中は言う。だが仕方がない。僕らは常に四人で、それ以上でも以下でもなく、五人目は日光仮面しかいないのだ。相手は全員上級生で、とくにフォワードは恐ろしく足が速い。健一だけは彼をも凌ぐ速さで対抗できたが、サッカーは一人でやるスポーツではないため、パスワークを駆使した彼らの波状攻撃によって僕らのチームは何度も危機にさらされる。シュートがゴールを襲う。そして、日光仮面はそれを止めることができない。彼の濃い太縁のサングラスでは視界が限られ、そして彼には致命的に反射神経が欠けていたのだ。日光仮面はボールに向かって弱弱しく手をさしのばすが、既にボールはネットに吸い込まれている。何やってんだよ、と誠二が悪態をつく。切り替えて集中しろ、と健一が檄を飛ばす。僕らはお互いの距離をコンパクトに保ち、短いパスを交換して相手陣内に攻め入ろうとするが、その高い理想に技術が及ばず、あえなくトラップミスやパスミスによって相手にボールを奪われてしまう。

結局その試合、大差で僕たちは負けた。日光仮面はただの一本もシュートを止めることができなかった。相手チームは上機嫌で高らかに笑い合いながら去って行き、僕たちは居残ってパスとシュート練習をした。

僕は日光仮面の方に振りかえった。彼は僕らに背を向けて、延々と正拳突きを繰り返していた。

「日光仮面も一緒にサッカーの練習しようよ」

夏がそう声を掛けると、日光仮面は拳を下ろし、ゆっくりと僕らの方に振り向いた。そして、首を横に振った。

「君らはサッカーの練習をして、試合に勝て。私は拳を鍛えて、悪に勝つ」

そう言うと、日光仮面は再び僕らに背を向けて黙々と正拳突きを繰り返した。

 

 

真中市で暮らしていたあの人たちは日光仮面だけではない。僕たちは日光仮面以外の彼らとも会話を交わした。しかし、その中でも日光仮面の存在感は際立っていた。今思えばそれは、他のあの人たちと違い、彼の行為に明確な目的があったからだ。平均的なあの人たちは、行為そのもの、存在そのものが目的となって完結しており、それ以上にどこにも広がらず、発展せず、毎日は永久に繰り返されていくだけのものだった。

日光仮面は違った。彼には目的があり、日光仮面と名乗るのも、体を鍛え続けるのも、日々パトロールに出かけるのも、全てその目的のためだった。

彼の目的とは何か。

それはもちろん、真中市に潜む悪を倒すことであった。

悪と言っても、コンビニ泥棒とか、結婚詐欺とか、中高生の喫煙とか、オフィス内でのセクハラとか、信号無視といったちゃちな犯罪行為のことではない。圧倒的で絶対的な悪だ。彼は、真中市のどこかに、この世界を転覆せんと企む巨悪が潜んでいると信じていた。その悪がやがて、この街の老若男女ことごとくに対して人が考えうる全ての非道の限りを尽くし、殺し、そして日本を支配し、やがて世界にその恐怖をはびこらせる、そう信じていた。

彼はその悪を、「サタンの爪」と呼んでいた。

彼はいつもその悪の影を追い求めていた。たとえそれがほんの僅かな気配であっても、サタンの爪の痕跡と思われるものがあれば執拗に追跡した。東である家のペットの犬がいなくなったと聞けばそこに向かい聞き込みをし、南で柿の木が食い荒らされれば一日中その木の下で張り込みをし、西の池でボートが沈めば池に潜ってボートの残骸を拾い集め、北のゲームセンターで中学生の喧嘩が起これば乱入して、手酷い傷を負いながらも圧倒的な気迫でもって両者とも叩きのめした。そして、ほとんどの場合何の成果もあげることはできなかった。

日光仮面が最も活発に活動するのは、夜だった。何故なら悪は夜の闇に紛れて生きるものであり、人の目を欺く深い闇の中にこそ、サタンの爪の秘密が隠されている、そう彼は信じていたからだ。日光仮面は夜を徹して真中市のパトロールを続けた。だが、彼が自分では全く気が付いていなかったことだが、真夜中にサングラスとマスクとマント姿で街を徘徊していれば、不審に見えるのは彼自身の方だ。彼は何度となく警察に職務質問を受け、場合によっては近くの交番まで連行された。彼は警察に向かっても、僕たちにするのと同じように自分の行為について説明した。

「この街には悪が潜んでいる。今はまだ誰も気が付いていない。しかし私には分かる。今に取り返しのつかない恐ろしいことが起こる。サタンの爪の脅威はもうすぐそこまで迫っている」

そして、僕たちに向かっては言わないことを、警察に対して言う。

「あなた方も市民の平和を守る使命を持った公僕なら、私に協力しなさい。協力ができないのであれば、せめて私の邪魔をするのは止めなさい」

警察は、日光仮面の「家」を家宅捜索した。明らかにこの男は妄想に取り憑かれている。それだけなら良いが、この男の言う「悪」とはこの男そのものなのではないか。警察がそう考えたことに不思議はない。古今東西、悪の打倒を説く狂人が実は悪人そのものだったという事例は枚挙に暇がない。自分が頭の中に描く悪が、実際には存在しない。そうなると、悪を存在させるためには、自分が悪を演じざるを得なくなる。自分がひっそり悪を演じた後で、マスクをつけて現場に堂々と出て行き正義を果たす。ありそうな話だ。もちろん、警察も真面目に取り合ったわけではなかった。基本的にはただの狂人の妄言としか考えていなかったが、日光仮面の昼夜を問わない不審な活動が目に余ったため、一度公務として彼の実態を把握せざるを得ないと判断したのだ。令状は無いので、日光仮面の任意立会の下、家宅捜索は行われた。

そして、意味のある物は何も見つからなかった。日光仮面が持っていたのは、フライパンや歯ブラシや洗面器やタオルや布団といった生活用具一式を除けば、壊れたエアガンと、金属バットが一本。後は彼の日記が見つかっただけだった。そこに書かれていたのは、彼の犯罪調査記録、すなわち、日光川に空き缶を投げ捨てた男や、ノーヘルで原付バイクを乗り回す高校生や、横断歩道を手を上げて渡らなかった小学生に注意を呼び掛けたことや、ハンカチやマフラーや帽子などの落とし物を警察に届けたこと、等々であった。時々は、僕たちと野球やサッカーをしたことも書かれていた。警察は、事件性なしと判断した。

しかし、日光仮面が公共の空地に不法に住まいを構えていることだけは事実であった。警察は、直ちにこの住居を撤去して原状に復すようにと命じた。日光仮面は、分かりました、と答え、その翌日、自らの手でその素朴な木造りの住居を叩き壊して残材をゴミ捨て場に捨て、布団を背負い、その他家財を自転車にくくりつけ、いずこかへと去って行った。後には、堤防に描かれた種々雑多なキャラクターと「日光仮面参上」の落書きだけが残った。

僕はある日、彼の住処があったはずの橋の下にやって来て、その空洞を見出した時、少なからずショックを受けた。僕以外の三人もショックを受けているようだった。だが、何故ショックを受けるのかは自分たちにも分からなかった。僕たちは日光仮面に対して敵意こそ抱いていないものの、それほど親密な情愛をもって接していたわけではなかったからだ。僕たちの誰一人として彼の言うサタンの爪の存在を信じてはいなかったし、全員が彼のことを基本的には狂人だと考えていた。友達と言うには年が離れすぎていたし、生きる世界が違い過ぎていた。たぶん、昨日まで普通に存在していたものが突然失われてしまえば、それが日光仮面だろうと学校で飼っているウサギだろうと、喪失感のようなものは自動的に生まれるのだろう。僕たちはそう考えた。そして、日光仮面はどこに行ったのだろうと考えた。真中市のどこかを今も自転車で駆けずり回っているだろう、と誠二が言った。

「日光仮面がサタンの爪を見つけるまで諦めるわけないよ」

僕たちは頷いた。しかし、彼が今どこに住んでいるのかは、見当が付かなかった。

それからしばらくの間、僕たちは四人だけで遊んだ。健一の家でファミコンをやり、モデルガンで空き缶を狙い撃ちし、誠二の家の近くの雑木林で虫とりをしたり缶蹴りをして遊んだ。僕たちは日光仮面のことをあっという間に忘れた。

だから、日光仮面がいなくなって数週間後、あの日光川の橋の下、以前まで日光仮面の家があったのとちょうど川を挟んで反対側の河川敷に、見覚えのある粗雑な木造りのバラックが忽然と出現しているのを発見したとき、僕は完全に不意を突かれた思いだった。僕たち四人はすぐに橋を渡り、堤防を駆け降り、隙間の空きがちな木製のドアをノックした。

「誰だ。繁か」

扉の向こうから、すぐにそう返答があった。まぎれもなく、日光仮面だった。

今までどこに行っていたのか、と僕は彼に尋ねた。

「どこにも行きはしない。日光仮面は今までも、これからも、いつまでもこの街を守っている」

日光仮面はそう言った。日光仮面はこうして、日光川を挟んで東か西か、どちらかに住み続けることに不都合が生じれば、ほとぼりが冷めるまで間を空けた後で川の反対側に移り住む、という行為を続けてその任務を遂行していたのだった。

 

 

 

日光仮面の生態について事実として僕が知っているのはここまでだが、これらの事から推測できることがある。日光仮面は単なるホームレスではなく、真中市のどこかに、本当の自分の家を持ち、金銭の収入源を持っていたのではないかということだ。

おそらくその推測は正しかったはずだ。考えてみれば分かる。たとえば、日光仮面が身にまとう各種の装備は、手作りの風合いに溢れたものだったとはいえ、決して不潔ではなかった。マスクも、マント代わりのカーテンも、軍手も、少なくとも土と泥にまみれて遊んでいた僕たちの衣服よりは、よほど清潔な白だった。あの白さが、日光川の水で洗った結果の物であるはずが無い。体臭も普通だった。充分な着替えのストックを持ち、定期的にコインランドリーや銭湯に通うことができなければ、考えられないことだった。そもそも、あんな薄汚い橋の下にただじっとしていたところで、人通りもなく物乞いもできないからすぐに飢え死にしてしまう。しかし、日光仮面が近所の畑から何かを盗んだなどという話は聞いたことが無かった。

だとしたら、実は日光仮面は週に何日間かはあのマスクとサングラスを外し、僕たちの父親がそうしているように、社会のどこかで普通の大人として働いていたのだろうか。そうかもしれなかった。僕たちは日光仮面がマスクを外したところを、たったの一度も見たことが無かった。ひょっとしたら僕たちの知らないところで、僕たちは素顔の彼と何度かすれ違ってきたのかもしれない。僕たちのすぐ近くで、素顔の彼が生活していたのかもしれない。それとも彼は、過去に事業で成功するか何かして、既に当分の間働かなくても済むほど充分な金銭を蓄えていたのかもしれない。そして本当に、毎日朝から晩まで、生活の全てを正拳突きの訓練や悪の探求に捧げることができていたのかもしれない。

僕たちには分からない。僕たちがするどんな些細な質問に対しても、それが彼の正体に結びつくものであった場合は、日光仮面は決してまともには答えなかったからだ。彼はルールを知っていた。ヒーローは何があろうと絶対に自分の正体を他人に明かしてはいけない、という鋼の掟を。彼はそれを徹底して守った。この世にある限りその掟を破ることができるのはたった一つ、その物語の最終回だけだ。ヒーローは自身に秘密を纏わせることによってのみ、衆生の者どもよりも一段上の次元にいるよう振舞うことができるのだ。そしてそれは、少なくとも僕たちに対しては完璧な正解として機能した。日光仮面の正体がそんじょそこらの親父であると分かってしまったら、僕たちは幻滅を禁じ得ず、彼に対する興味を完全に失ってしまっただろう。

僕たちは想像したものだった。日光仮面の正体について。家族はいるのか。本当の家はどこか、そして何よりも、何故、日光仮面は日光仮面になったのだろうかと。何故、こうまで執拗にサタンの爪を追い求めているのだろうか。

それについての考察の中では、誠二が立てた仮説に最も説得力があった。そしてそれは同時に、最も不気味な想像でもあった。

誠二はこう考えた。勿論日光仮面は、もともとはただのごく普通の一人の男だった、と。日光仮面は結婚していて、子どももいる。正確には、かつて、いた。日光仮面は幸せなごく普通の生活を送っていた。だがある日、奥さんも子どもも死んでしまった。殺されたとか交通事故だとかではない。病に罹って死んだのだ。日光仮面は家族を救おうとあらゆる努力を尽くした。だがそれが報われることは無かった。

葬式が終わり、一人ぼっちの家の中で、日光仮面は考え続けた。自分の幸せが理不尽に、突然に奪われたことに、彼はどうやっても納得することができない。妻子はただの病気で死んだのではない。誰かに殺されたのだ。誰かがある日どこかで拭い切れぬ毒を撒き、妻子はそれに巻き込まれたのだ。それは無差別殺人であり、許しがたい悪意の結果である。憎しみと怒りをぶつけられる対象を求め続けていた彼にとって、その直感は、彼の心にそっと寄り添い合わさるパズルのピースとなった。この街には悪が潜んでいる。その悪を、誰かが倒さなくてはならない。彼はそう考え、狂気と正義の境目の中で、日光仮面となった。

誠二が僕たちにこう話したとき、おそらくそうに間違いあるまいと僕と健一と夏は同意した。そしてこの物語はたちまち僕たちにとっての真実となった。僕たちはそこに裏打ちを求めなかった。それが事実であろうとなかろうと、その物語の中で、日光仮面は悲壮で、滑稽で、真摯であり、その姿は僕たちが彼に抱くイメージにぴったり当てはまっていたからだ。

 

 

 

あの頃、日光仮面はしょっちゅう僕たちの傍にいた。しかし、本当の最初からそうだったわけではない。遡れば出会いがあり、出会いにはきっかけがあった。僕たちは、ある日たまたま街を歩いていて偶然彼に遭遇したわけではない。僕たちはある意志の下に彼と出会い、目的を持って彼と知り合いになった。彼がサタンの爪を執拗に追い求めていたのと同じように、僕たち四人にも重要な目的があり、彼に出会ったのはその一環だった。結論から言ってしまえば、彼は僕らのその「目的」を果たすことのできる存在ではなく、あっという間に普段の習慣の一部と化してしまい、単なる「となりの変人」となり、たまに人数合わせで利用するのに都合のよい遊び相手に堕してしまったのだが、最初に僕らが日光仮面に求めていたのは全く別のことだった。

僕たち四人はただなんとなくつるみ、惰性で毎日遊んでいたわけではなかった。ただの同じ日々の繰り返しではなく、自分たちに許された世界から外に出て、限界を超えて遊びつくすことを望んでいた。そのためには世界の壁をよじ登って越えることも、さもなくばその壁を破壊することもいとわないつもりだった。そして正直に言えば恐らく、破壊することは手段と目的の両方だった。

僕たちが求めていたのは、冒険だった。

命を危険にさらし、危機をかいくぐり、勇気と知恵によって困難を乗り越え、仲間との協力によってトレジャーに辿り着く、あの冒険である。

そうなったきっかけは、初めて僕たち四人で観に行った映画にあった。小学二年生が子どもたちだけで映画館に行くのはそれだけで一種の冒険と言えるが、何よりその時観た映画が問題だった。

僕たちが観たのは「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」だった。

この映画が僕たちの運命を決定づけた。そのストーリーはごく分かりやすい。時代は第二次世界大戦を目前に控えた1930年代。アメリカの考古学者インディ・ジョーンズが失われた秘宝を求めて世界を飛び回り、太古の遺跡に秘められた謎を解き、旅した土地の美女をたらしこみ、常に危機を間一髪でかいくぐり、秘宝を見つけ出し、最終的に悪をぶちのめす。

それはハリウッドの伝統的なアクション映画の類型に他ならない。だが、「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」が僕たちに与えた影響の大きさは、単なる類型という読み解き方だけでは説明がつかなかった。僕たちはこの物語に心酔し、描かれた世界に魂の底から憧れた。この映画の何がそこまで僕たちを魅了し、僕たちにとってリアリティを持ったのか、当時はただ漠然とした印象を全身で受け止めるだけだったが、今では言葉で説明することができる。

この映画が示していたのは、日常の中に潜む非日常の存在だった。この世界には、街から街へ旅するサーカス団を乗せた列車が実際に存在し、そこに飛び込めば当然ヘビやライオンに出くわすことになる。街に建つ何の変哲もない古臭い図書館の地下に、聖杯への手がかりが潜む迷宮と化した墓所が広がっている。傘で鳥を脅かしてやれば戦闘機の視界を遮り窓を突き破って墜落させることもできる。戦車の砲身に石ころを突っ込んでやれば、砲弾が発射された瞬間暴発する。砂漠を越えた先の三日月の谷に、最後の十字軍が住む神殿がある。そしてキリストの血を受けた聖杯は、器に注いだ水によってあらゆる傷を癒すことができる。

つまり、こういうことだ。きっかけは、僕たちの身の回りにもある何かにすぎない。それは少しだけ稀なるものかもしれないが、必ずどこかに存在し、見て、触ることができるものだ。僕らがそれに触れれば世界は変化する。その何かを追求することが、日常から非日常に移るためのカギとなる。日常を限界まで推し進めて突破しつづけるとやがて、我々は奇跡にまで辿り着く。美しいことは日常の外にある。

インディ・ジョーンズは超人でも英雄でもなく、ただの考古学者である。それは極めて重要なポイントだった。彼は、僕たちでさえもやがて辿り着くことができる存在に思えたのだ。

非日常の究極的なゴールとして本当に聖杯が存在するのかどうかはどうでもよかった。僕たちが惹かれたのは、日常を突破することによって美しい非日常に辿り着くことができるというビジョンであり、知恵と勇気があれば大きな何かを動かすことができるというリアリティだった。それは明確であり、論理的であり、誘惑に満ち、冒険の動機となるには充分すぎるものだった。もしもこの映画を家族で見に行けば、同じことは起こらなかっただろう。

映画が終わった帰り道、健一が言った。

「まずは基地を探そう」

いい考えだった。別の世界に旅立つためには、それを準備するための拠点が必要だった。そこには僕たちの荷物と計画と想像が全て集まる。そこは僕たち以外誰も訪れることはなく、知ることもない、僕たちだけの場所だ。

 

 

 

古い友達であればある程、最初のきっかけというのは思い出し難いものだが、僕たちもそうだった。僕たち四人は小学校一年の時に同じクラスになり、ほぼ最初の瞬間から友達になった。僕は彼らと友達でなかった時間を思い出すことができない。そして、日々の連続によって自然とその関係は強固になっていった。

僕たちは滅多に喧嘩をしなかったし、互いを尊重することができた。僕たちは同じものを愛し、同じものに興奮した。菓子も漫画もゲームも、全て仲間で共有したし、四人の中の誰かが攻撃されれば四人で立ち向かった。今となっては、そんな友達を何の努力も無く作れたことがどれほどの奇跡だったかは良く分かっているつもりだ。その当時にも、僕は彼らのことを心から大切に思っていた。しかし、彼らのような友達はもう一生作ることが出来ないとまでは、その時は分からなかった。

僕たちが喧嘩をせず、協力し合うことになったのは、僕たちの性格や能力に明確な差異があったからだと思う。その差異は衝突ではなく、お互いを補完しあうように作用した。それが必然だったのか幸運だったのかは、僕には分からない。

健一は四人の中で最も身体能力に恵まれていた。それもずば抜けて恵まれていた。逆上がりだろうが跳び箱だろうが懸垂だろうが持久走だろうが、何をやらせても学年で一番の成績だった。体も大きく、喧嘩も誰より強かった。典型的な昭和のガキ大将タイプだったが、心根は穏やかで、四人の中の誰よりも寛容な性格だった。

誠二は飛び抜けて頭が良かった。学校の成績がトップだったのはもちろんだが、たとえば日光仮面の素性を推測した時のように、人よりも一歩も二歩も先を行く洞察力に優れていた。僕たちが何事かの判断に迷う時には、大体の場合に誠二の案が採用されることになった。その論理的で冷静な視座のため、彼が四人の中で最もクールな性格の持ち主だった。

夏は大人しく、学校の成績も平凡で、運動も大して得意ではなかった。だが他の三人が決して持たない才能があった。芸術の分野への才能である。バイオリンとピアノとギターを弾きこなす小学生など、文化の掃き溜めたる真中市始まって以来の才能だっただろう。そして夏の描く絵は驚くほど緻密で正確だった。空間を認識する力と、色彩感覚に並外れた才能がある、とその絵は県の展覧会で評された。だが夏は大人しく微笑んで、その功を僕らに誇ることはなかった。

そして、このチームの四人目たる僕は、どうであったか。

僕には何も無かった。健一ほどの運動能力もないし、誠二ほどの切れ者でもなく、夏ほどの芸術的才能もなく、他にも特に誰かに向かって自慢できるほどの能力は、何も無かった。

僕が密かに自らに冠したコードネームは、「オール4」だった。何をやらせても平均点以上は取る。しかし、それより上には決して到達することができない。馬鹿でもないけれど賢くもない。愚鈍でもないが、鋭敏でもない。至って中途半端な、日本中のどこにでもいる存在の一人だった。

だから僕は自分に無い才能を持つ三人のことがうらやましかった。そして、彼らと一緒にいるのが好きだった。僕は彼らに嫉妬するより、彼らの才能に憧れ、尊敬した。それが凡人たる僕に残されたたった一つの才能だったように思う。彼らと行動をともにすることで、僕は僕一人では決してできない何かを成すことができるように思えた。

 

 

 

基地の探索は、上手くいかなかった。都合のよい小屋とか空き家とか洞窟とかを探して僕たちは近所を自転車で走り回ったが、適当な物件を見つけることはできなかった。探索範囲を広げればいつか見つけられたかもしれないが、僕たち四人全員の家から離れすぎてしまうと、基地の意味がなくなってしまう。

誠二が結論を出した。

「じゃあ四人で作ろう」

いいアイデアだった。僕たちは直ちにそのアイデアの実現に取り掛かった。簡単なイラストを夏が描き、それを誠二が設計図に落とし込んだ。僕と健一で木材や釘などの資材や工具を探し集め、誠二の家の近くの雑木林のすぐ傍の空き地に運び込んだ。僕たちが作ろうとイメージしたのは、まるで中からトム・ソーヤが飛び出してきそうな小さな小屋だった。

一ヶ月か、二ヶ月か、長い時間がかかった。僕たちは何度も失敗し、何度も最初からやり直すことになり、大量の資材を駄目にしてしまった。何しろ四人が入れるような小屋だから、いくら小さいと言ってもそれなりの確固とした構造と工法と材料が必要になる。考えてみればすぐに分かることだが、それらを満足に実現するのは、8歳の少年たちには難しすぎた。だが僕たちは諦めなかった。誰かと一緒に何かを作るのは初めてのことで、僕たちはそれに夢中になった。それに何よりも、ここでいきなり諦めてしまったら決して冒険の旅に出ることはできなくなってしまうと、僕たち四人全員が分かっていた。だから僕たちは諦めなかったというよりも、「僕たちにこの基地が作れないわけがない」と信じ込んでいた。学校が終わると毎日この雑木林に直行し、全ての土曜日と日曜日を使い尽くした。手を擦り傷だらけにして、顔を真っ黒にして、僕たちは小屋を建て続けた。

そしてそれは完成した。とても小さな小屋だ。設計の段階では、屋根に潜望鏡が付き、エアガンで敵を撃つための射出口を兼ねた窓があり、作戦会議を行うための円卓があり、四人が寝泊まりするための2段ベッドが2セット備え付けられることになっていたのだが、都合により全て省略されることになった。そこにあったのは、ただの何も無い立方体の空間だった。四人が並んで立つほどの高さもなく、座っていてもぎゅうぎゅう詰めで身動きが取れない。大人になった今では、背を精一杯屈めても入ることはできない大きさだ。扉は無く壁の一部が四角く切り取られているだけで、床は段ボール製だった。屋根も壁も隙間だらけで、雨の日には中にいても雨粒が突き刺さり、そのたびに床を張り替えなくてはならなかった。冒険の道具や本や漫画や武器を運び込むために作った小屋だったが、狭すぎてそんなものを置いておくゆとりは全くなかった。

だが、僕たちは満足だった。四人で基地の中に入り、膝を突き合わせて座り込み、顔を見合わせ、隙間だらけの屋根を見上げた時、僕の心に押し寄せてきたのは、全く、欠ける物が何もない完璧な満足感だった。壁の隙間から差し込む日の光と風の感触、そして見上げた屋根の隙間の向こうに見える青空は、僕がそれまで観たことの無い光景だった。その時も直感的に理解したし、今となっても客観的にそう思うが、僕たちが開けた、非日常への最初の扉はこの基地の中にあった。

 

 

 

基地の完成後、僕たちはそこで毎日膝を突き合わせて作戦会議を行った。議題はもちろん、「真中市のどこに冒険があるか」だ。それぞれから提案があり、意見交換がなされた。人が立ち入らず、謎が隠されていそうな場所であればある程良い。打ち捨てられた病院や、夜の学校や、町はずれの林の奥へ探検しようと三人が言った。どれも魅力的なアイデアだと僕は思った。だが僕がまず考えていたのは、どこかに行くことよりも先に、誰かに出会うことだった。インディ・ジョーンズがそうであったように、冒険とは誰かとの出会いをきっかけにして始まると思ったからだ。

裕司はなにをやりたい、と誠二が僕に訊いて、僕は答えた。

「日光川に、変な奴が住んでるって聞いたことある」

それが日光仮面のことだった。以前、クラスメートの誰かが彼のことを話すのを僕は耳にしていたのだ。それは有名な噂だった。そいつは日光川の橋の下に住み、変な格好をして、警察でもないのに、毎日真中市をパトロールして回ったり、川に向かって正拳突きをしたりしているらしい。

「そいつに会いに行こう」

僕がそう言うと、健一が、俺はおっさんのくせにセーラー服着てる奴が駅前のスーパーにいるって聞いたことがある、と言った。夏は、宇宙人を呼び寄せる男が市営公園に出没する、という噂を聞いたことがあった。

それにしよう、と誠二が言った。「この町の変な奴らに会いに行こう」

僕たちはさっそく自転車に乗って、数々の噂の発信源の中でも基地から最も近い、日光川に向かった。

私鉄が走る線路の脇、堤防の上で、僕たちは自転車を停めた。そしてどす黒い川を見下ろすと、コンクリートの川べりのぎりぎりに、男が大股を開いて立っているのを僕たちはすぐに見つけ出した。

僕たちは堤防を降りて行き、四人で並んで、サングラスとマスクを着けた姿で正拳突きを繰り返す男の隣りに立った。

男は僕たちの方に振り返りもせず黙々と正拳突きを繰り返し続けた。

「おじさん、何をやっているんですか」

僕がそう訊くと、突き出された拳がそのまま中空で停止した。やがて、彼はゆっくりと拳を下ろすと、胸の前で両手で三角形を形作り、何度か深呼吸した。大きく開いていた両足を閉じ、腕を下ろし、ようやく僕たちの方に向き直ると、彼は言った。

「私は日光仮面だ」

それは、僕の質問に対する答えではなかった。だが、今考えてみれば、それは日光仮面にとっては正しい答えだった。正拳突きは正拳突き以外の何物でもなく、説明することなどない。私はたった今日光仮面としての行為を全うしており、正拳突きはその一環に過ぎない、そう彼は言いたかったのだと思う。その論理の飛躍を理解したわけではなく、彼の断定的な口調と異様な迫力に押されて、僕はなんとなく頷かざるを得なかった。

「何の用だ」と日光仮面は尋ねた。「まさか、サタンの爪が現れたのか?」

何それ、と誠二が訊いた。

そう訊くべきだったのかどうか、分からない。

そこから日光仮面の長い話が始まった。サタンの爪をめぐる日光仮面の長い闘いの物語だ。僕たちは日が暮れるまでそれから解放されることは無かった。

これが僕たちと日光仮面の出会いで、彼の館が僕たちが建てた基地にごく近かったこともあり、事あるごとに僕たちは彼を訪ねるようになった。彼の語る物語が魅力的だったわけではないが、僕たち四人は直感的に、彼が普通の世界に生きていないことだけは理解した。それは、目指す方向は全く違うが、ある意味彼が僕たちの先輩であるということだった。どこからどう見ても変人なのだが、ただ変人というだけでは説明が付かず、彼には、僕たち四人に親近感を抱かせる何かがあった。

その後も僕たちは真中市に生息する数多くのあの人たちに出会ったが、日光仮面と比べると、彼らの異常さは典型的で分かりやすいものだった。

例えば、市営公園に一日中入り浸るとある老人に、僕たちは出会った。見かけはごく普通の老人だが、その習性に特徴があった。彼の日課は、エイリアンを空から呼び寄せることだった。公園の片隅に膝立ちでたたずみ、祈りの言葉を呟きながら、掲げた両手を振りおろし、ひれ伏すように大地に手を突き、また振り上げる。その動作を何百回と繰り返す。

「おじいさん、何をやっているんですか」

僕が、日光仮面にしたのと同じ質問を老人に向かってすると、老人の動きがぴたりと止まり、僕たちに振り向いた。

「メニアル星人を呼んでいるのだ」

「メニアル星人って何ですか」と夏が訊く。

「宇宙の支配者だ」

老人はそう言った。

彼によると、この地球にメニアル星人は何度となく訪れ、我々を監視し、宇宙のかなたにあるというメニアル星に向け、地球の衛星軌道上に設置された彼らの前線基地から、地球人の情報を送っているのだという。彼らは現在の地球文明よりもはるかに進んだ科学技術を持っており、地球人類がいつか彼らの技術を授けるに足る存在かどうかを検証しつつ、我々の歴史の行く末を見守っている。時折、彼らは小型の偵察艇で大気圏外から飛来し、地球人と接触を図ることがある。老人がメニアル星人の存在を知ったのも、その接触の一端だった。数十年前のある夜、彼が居酒屋で気の合う仲間たちとしこたま酒を喰らった帰り道、一人、この市営公園で裸踊りをしていると、突如まばゆい光が天空から差し、彼はメニアル星人に捕獲され、彼らの基地の研究室に拘留された。そこで彼は奇妙な装置によって全身を検められ、さまざまな質問を受けた。メニアル星人は、我々はメニアル星人であると名乗り、我々の存在は一切他言無用であると言い渡した後で老人を解放した。老人は記憶を操作されたため自分が何を話したのかまるで思い出せないが、完全な記憶の抹消には失敗したらしく、自分が宇宙船に連れて行かれたことと、メニアル星人という名前だけははっきり覚えているという。

僕はその話を聞きながら、耐えがたい既視感に苛まれた。僕は間違いなく、これと全く同じ話を「コロコロコミック」か「小学2年生」のどちらかで読んだことがあった。

「どうしてメニアル星人を呼んでいるんですか」

「わしをメニアル星に連れて行って欲しいからだ。地球には何の未練もない」

「次にメニアル星人が来たら教えてください」

それは無理だ、と老人は言った。「次にメニアル星人に会う時は、わしが地球を去る時だ」

僕たちは名前を名乗り、彼も自らの名を答えたが、それが何と言ったかはもう忘れてしまった。僕たちがそれから老人と話す機会はもう二、三度しかなかったからだ。彼は来る日も来る日も宇宙に向かって祈祷し続けるばかりであり、いつまで経ってもメニアル星人との再会を果たせず、僕たちとの会話には何の発展性もなかったため、僕たちは彼から冒険の手がかりを見つけ出すことをすぐに諦めてしまった。

僕たちはその他にも数多くのあの人たちに出会った。

自宅の軒先で一日中焚き火に掛かった鍋の中身をひたすら掻きまわし続けていた「料理おばさん」。

コーラのペットボトルのロケットで空を飛ぼうとした「ロケットおじさん」。

軍服姿で街を一人で毎日行進していた「軍隊じいさん」。

日光川で毎日河童を探していた「河童おじさん」。

ドラえもんののび太の扮装をしてアニメのテーマ曲を歌い続ける「のび太おじさん」。

毎日倉庫の壁に向かって目には見えない子供たちとドッジボールをしていた「ドッジボールおじさん」。

……

個々の単純さの一方で、彼らの姿は多種多様だった。一人として同じ格好の者はおらず、同じ目的で活動する者はなかった。彼らはそれぞれに孤立し、あの人たちの間にネットワークと呼べるものは存在しなかった。彼らはそれぞれに自分たちの世界を持っており、それを変更させることは誰にもできなかった。まるで彼らはそれぞれが一冊の書物のようだった。そこには物語が描かれており、僕たちに向かって何かを伝える。しかし、書物と書物の間で会話が交わされることはない。彼らという本は既に書き終えられていて、これ以上訂正されることも書き足されることもない。あくまで受け取るのは僕たちであり、学ぶのも、読むのも、聴くのも、彼らではなく僕たちなのだった。

彼らは、書物が僕たちに教えるのと同じことを僕たちに教えた。それは、この街に悪が潜んでいるという妄想のことでも、メニアル星人の存在のことでもない。もっと単純な事実、つまり、「世の中にはいろんな人がいる」ということを。それは、世界と人間が多様性に満ち満ちているという事実で、ことによると僕が人生で学んだ中でも最も重要なことの一つだった。

 

 

 

そんな風に、互いに徹底してばらばらの存在だったあの人たちだが、何事にも例外はある。一度だけそれは起きた。

それはごくささやかな瞬間だった。何の前触れもなく訪れたし、事象としてもさざ波のごとく小さなものだったので、ずいぶん後になって振り返るまで、それが二度と起こらない例外的な出来事だったのだということに気が付かなかったくらいだ。

その日僕たちは夏の家の近所の公園で音楽を演奏していた。学校の音楽の授業で、課題曲を鍵盤ハーモニカで演奏するテストがあり、その直前の練習をしていたのだ。夏は一瞬でそれを習得してしまっていたので、先生となって僕たち三人に指導した。

課題曲はブルーハーツの「トレイン・トレイン」だった。確か、それが単に教科書に載っていたからなのだが、小学四年生向けにしてはなかなか渋い選曲だった。

夏は家から小さな電子キーボードを持ってきて、歌いながら弾いて僕たちに見本を示した。僕たちは夏の歌に合わせて演奏した。指の遅れや息の量の不足を都度指摘する、辛抱強くもなかなか厳しい先生だった。

「もう一度はじめからやろう」と夏はその日何度目かのセリフを言った。

ええー、と健一と僕は同時に言った。

「休憩しようよ。て言うかもういいよ。俺向いてないし」と健一は言った。

確かに、どう考えても健一には全く向いていない訓練だった。

夏は首を横に振って、駄目だと言った。夏の目はきらきら輝いていた。音楽が本当に大好きだったのはもちろんのこと、普段の遊びにおいては僕ら三人に後れを取ることが多いので、この機を逃してなるものかと思っていたのだろう。

誠二は生まれついての要領の良さにより、練習が始まってすぐにほぼ完璧に弾けるようになってしまい、僕たち二人を余裕の目で眺めていた。

健一と僕は諦めて練習を続けることにした。

才能のない者にとって、反復練習だけが技術を身につける手段である。次第に、少しずつではあるが健一も僕も上達し始めた。サビの部分の直前まではほぼミスなく演奏できるようになっていった。

少しだけ日が傾き、何度も繰り返している途中で、夏の声に遠くから別の声が混ざった。

 

栄光に向かって走る

あの列車に乗っていこう

裸足のままで飛び出して

あの列車に乗っていこう

弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく

その音が響きわたれば ブルースは加速していく

 

 

日光仮面の声だった。彼はどこからともなく現れ、自転車に乗ってゆっくりとこちらに近付いて来て、僕たちの隣に立って歌った。

彼が自分のテーマ曲以外を歌うのを僕は初めて聴いた。僕たちは彼に構わず練習を続けた。日光仮面は夏の声に合わせて一緒に歌った。夏は心の底からの笑顔を浮かべて嬉しそうに、指を鍵盤に走らせた。

そのうちに、また別の声が遠くから被さってきた。

ドラえもんののび太の格好をした「のび太おじさん」だった。彼も日頃はドラえもんのアニメ主題歌しか歌わない男だったが、公園の入り口を通りがかると、僕らの方にやってきて、日光仮面とともに歌った。僕たち四人は顔を見合わせたが、旋律が続いていたのでそのまま練習を続行した。

そこから後は、短い時間の出来事だった。

次々に、何人かのあの人たちが公園に集まってきて、そして歌い始めたのだ。ロケットおじさん、河童おじさん、ドッジボールおじさん、セーラー服おじさんが、示し合わせたように公園を通りがかり、夏と一緒に「トレイン・トレイン」を歌いだした。

彼らは僕らを少しだけ遠巻きに取り囲み、僕たちの下手な演奏に合わせて歌った。

異様な光景の合唱だった。

これには夏はもちろんのこと、僕も健一も誠二も笑った。

彼らはこの公園にたまたま通りがかり、たまたまこの歌を知っていた。

この公園は、もともと大して広くもない、彼らの普段の活動圏内にあった。だから、彼らがそろって偶然この公園の近くにいて、通りがかったことは不思議でもなんでもない。そしてこの楽曲は、子供の僕たちでも知っているくらい日本中に周知の歌だったから、彼ら全員が知っていることにも、別に不思議は何もなかった。

だが、何が彼らをこの場に引きとめたのだろうか。何故彼らは僕たちと一緒に歌おうと思ったのだろうか。この歌や、僕たちの演奏の何が、この時だけ、彼らを引き付けたのだろうか。僕にはこの時も今も、それが分からない。

とにかく、僕たちは可笑しかった。日常ではあり得ない馬鹿馬鹿しい光景だった。可笑しくて可笑しくて、笑いが止まらなくて、まともに演奏ができなくなった。夏だけが指の動きを崩さず続けることができて、僕たちに演奏に戻るように指示をしたが、無理な注文だった。

あの人たちの合唱が続く中を、ひとしきり笑った後、夏の「最初からもう一度」の指示に従って、僕たちは演奏に戻った。そして僕たちは最後までやりきることができた。

 

 

見えない自由がほしくて

見えない銃を撃ちまくる

本当の声を聞かせておくれよ

 

TRAIN TRAIN 走って行け TRAIN TRAIN どこまでも

TRAIN TRAIN 走って行け TRAIN TRAIN どこまでも

 

 

「できた」と健一が言った。

夏が頷き、もう大丈夫だと言った。

僕は疲れきって、大きく体を伸ばし、深く息をついて振り返ると、もうそこにはあの人たちは一人もいなかった。

 

 

 

去っていくあの人たちの背中が、あの時の僕には見えなかった。いつも彼らはいつの間にかそこにいて、いつの間にかどこにもいなかった。

あの時それはそれだけのことだった。彼らがいようといまいと構わなかった。現れた理由も気にはならない。いなくなっても気にはしない。幾ら唐突に始まり、唐突に途切れてしまったところで、どうせまた明日街を歩けば嫌でも彼らとすれ違うのだから。

しかし、今はもうそんなことは起こらない。

今の僕は、彼らの後ろ姿を思い描く。昔はそんなことをしようとも思わなかったし、しようとしてもできなかっただろう。

今ならそれができる。現実にあの時目にすることができなかった光景も、僕は今なら描くことができる。あの頃は、ありもしないものにリアリティを覚える想像力はあっても、物事の裏側を見ることはできず、五感から切り離された事物は存在しないも同然だった。だが今は、野放図な想像力は失っても、途中まで描かれた線の先を推し量ることができ、彼らが僕の中で生きているのを感じることができる。

僕は今、それを写し取り、描きたいと思っている。

僕はこの真中市で生まれ、そして育った。幾つかの小さな出来事と、幾つかの大きな出来事を経て、ある日僕はこの街を去った。去ってからも多少の事件があった。それらが僕の中に今も留まっている。その滞留し続けているものたちの中に、あの人たちの後ろ姿がある。

ここまで僕が記し、そしてこの後も続けようとしているのは、僕の視点から見たその記録であり、記憶の整理だ。僕の頭の中だけで処理するにはその渦は大きすぎる。文字にして吐き出さない限り、それらはまだ混沌としていて、僕自身にも全てを見通すことができない。

記憶には、鮮明なものもあれば、掠れぼやけてしまったものもある。言葉には、正確な言葉と漠然とした言葉がある。理解できることとできないことがある。

僕は今それを書こうとしている。

一度に全てを語ることはできないので、一つ一つ拾い上げて行こうと思う。全ての出来事に意味があると決まっているわけでも、全ての出来事に関連があるわけでもない。可能な限り時に沿い、過去から未来へ順に積み重ねていくように努めるため、あたかも一つの歴史のようになるかもしれないが、過去と未来の因果関係に保証はない。これは物語かもしれないし、それとは全く別の何かかもしれない。今はまだ、一切は雑然としていて、ばらばらの方向を向いている。それらが一つの統一を成すことなどあり得ない気がするし、自分自身それを期待しているわけではない気もする。何の保証もないし、約束もできない。何が起きるのか分からないが、どういう結果になっても、僕はこれから、そのページを拾い集めながら歩いていき、一つのテキストとして提出することにしたい。

どれくらいの長さになるのか、どんな文章になるのか、そして、僕が最も肝心なことを言葉にできるのか、まだ何も分からない。

ただ、今、どうしてもそれを書きたい。

そして誰かに読んでもらいたい。この街と、僕のできる限りの正直を、誰でもない誰かに。

第二章 夏